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福岡高等裁判所 昭和34年(う)32号 判決

被告人 甲

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役二年以上三年以下に処する。

原審における未決勾留日数中、八〇日を右本刑に算入する。

押収にかかる白鞘ナイフ一本(証第四号)は、これを没収する。

原審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

弁護人の控訴趣意第一点竝びに被告人の控訴趣意(いずれも事実誤認の主張)について

そこで、さらに進んで、弁護人の論旨後段の所論に鑑み、右被告人の所為が、原判示のように、未必的殺意に出たものであるかどうかについて、検討するのに、原判決の挙示した証拠によると、(一)、被告人は身体が小さいことから横竹に「チビ」と呼ばれ或いは左側頭部にハゲのあることから「台湾ハゲ」「万年ハゲ」などとからかわれても、内気無口で内攻的な性格であるため、時折口先だけで反撥する位で、内心不快に思うことはあつたにしても、入学以来未だ同人と殴り合いの喧嘩などしたこともなく、横竹との間が担任教師をはじめ学友間にも特に目立つて注目をあびる程不仲ではなかつたこと、(二)、被告人と横竹との本件喧嘩の発端は、昭和三三年六月一二日午前の授業時間中、横竹が些細なことに被告人の悪口を言つた後「台湾ハゲ」とか「万年ハゲ」とか言つて嘲笑したので、被告人が「よけいなお世話だ」とやり返へして一寸口争をしたことに在つて、爾後本件所為に及ぶまでの犯行の経緯に関する経過は冒頭認定のとおりで、とくに被告人は横竹と右口争をした翌一三日午前中三時間目の授業が終つた休憩時間中、横竹から突然、「今日昼休みのとき、喧嘩をするからお宮に来い」と喧嘩を挑まれたとき、喧嘩になることを感じて、そのとき仲裁をして貰うつもりで同級生の友人一人を同伴してお宮に赴いていること、(三)、被告人が本件犯行当日登校に際して手工用ナイフを持つて行つたのは、被告人の前記性格や或は横竹の体格が被告人より遥かに優位に在つたことその他冒頭認定の犯行に至るまでの経過に徴して、被告人の言うとおり、たんに横竹を威嚇するために用いるつもりであつたことが認められ、殺傷の用に供する目的であつたことの毫も窺えないこと、(四)、被告人は本件犯行の現場で、横竹からいきなり顔面を殴打されたため、激昂して嚇となり、ナイフで同人の身体を一回突き刺したところ、それがたまたま同人の前胸部に突き刺さつて、ついに同人を死亡させるに至つたが、当初から特に横竹の前胸部を目蒐けて前胸部を突き刺したものでないこと、及び(五)、被告人は横竹の身体を突き刺したナイフを引き抜き、同人がフラフラと前に歩いて地上に倒れるのを見て驚きの余り、急遽狼狽して、その場から自宅に逃げ帰つたが突き刺した横竹の症状を憂慮した余り友人に右犯行を打ち明けてその指図に従い、自宅に在つて警察官が来るまで、恐怖に戦きながら待機していたことなどの事実が認められるので、これらの諸点を綜合すると、被告人は本件犯行の現場において、横竹からいきなり顔面を殴打されるや激昂の余り嚇となつて所携のナイフで同人の身体を突き刺したものであつて、突き刺した個所が、たまたま前胸部であつたため、死亡の結果を生ぜしめたものの、もとより同人の死亡など全く予期しなかつたことが明らかであるから、被告人がナイフで横竹の身体を突き刺すに当つて、同人の死亡の結果発生の可能性を認識し且つこれを認容してその所為に出たものであるとのいわゆる未必的殺意があつたものとは、到底これを認めることができない。ただ、被告人の供述として、司法警察員に対する供述調書中には、「今、冷静になつて考えると、突き所が悪ければ、その場で即死することがあるかもしれない。私が刺した場所も心臓部であつた由で、その場ですぐ死亡したとのことを聞いたが、全く前後のことも考えず突き所が悪かつたと思う、突き所が悪かつたので、殺す意思があつたと考えられてもやむを得んと思う」旨の又被告人の検察官に対する供述調書中には「私は夢中で相手を殺すとか殺さないようにとかいう気持は、考える余裕もなく、どうなつてもそんなことは構つて居れないので、私も無言のまま、突き刺したものである」旨の記載部分はあるけれど、ただそれだけで、被告人の本件所為につき、未必的殺意のあつたことの認定の資料とはなし難いし、他に記録を調べても被告人に右主観的認識のあつたことを認めるに足る証拠は存しない。

してみれば、被告人の本件所為は、たんに刑法第二〇五条第一項所定の傷害致死罪を構成するにすぎないのにかかわらず、原判決がこの点につき、「激昂の余り、或は死ぬかも知れないことを予知しながら、敢えて」所携のナイフで突き刺したと判示して被告人に未必的殺意のあつたことを認定し以て被告人を殺人罪に問擬処断したのは、証拠の証明力に関する価値判断を誤つた結果、事実を誤認するに至つたもので、その誤が原判決に影響を及ぼすことも言を俟たないので、原判決はこの点において、刑訴法第三九七条第一項第三八二条に則り破棄を免かれない。弁護人の論旨後段は理由がある。

(裁判官 谷本寛 大曲壮次郎 古賀俊郎)

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